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発明家 寺垣武さん訪問記

まえがき

2013年3月9日、発明家の寺垣武さんにお会いする機会をいただき、お話を伺いました。

寺垣武さんは元生産技術者でありながらも、定年後に独学で音響を学びはじめ、歪みを極限にまで抑えた究極のレコードプレーヤと、どこから聴いても同じように聞こえる究極のスピーカーを発明されました。地味でただのガラクタにも見えるそれらの音響機器に隠された秘密と、それらが日本の産業に投げかける問いをわかりやすくお教えいただきました。 寺垣武さん現在90歳。現在も自宅で研究を行なっていらっしゃいます。年齢を感じさせない白熱したお話にあまりにも感銘を受けたため、私は途中から一心にメモを取り始めました。 ものづくりのあり方を問う、とても貴重なご講演でした。

その講演の内容をここにに記します。

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講演内容記録

私はオーディオが専門ではない。生産技術者である。 だが、オーディオテクニカを巻き込んで音響機器を作り、それらを三越劇場で展示をするまでになった。今日は経緯と私の考えを伝えたい。

この世の中は変化しているが、「良く」はなっていない

最近、人間あってこその音楽が、音響、音響メーカーが主体になっている。これは間違いであると考えている。 人間はよく勘違いする。物事が変わることが良いことと勘違いする。だが、必ずしも変わることが良いこととは限らない。 私は戦争に行った。今年で90歳になる。これまでを振り返ると、いつも人間は自分に都合の良い論理を作ろうとすることに気づかされる。 戦時中、浜松で従軍中に甚大な空爆を受けた中を私は生き残った。それは数日間生死をさまようものだった。私は亡くなった戦友の下にいて助かった。そのような経験は、恐怖というものの感覚を越え、人間の考えを全く変えてしまうものである。

この世の中はいつも変わっているが、良くはなっていない。 私は新聞雑誌に200回くらいでているのだが、これらの記事を読むたびに、人々は自分の都合の良いように解釈するものだ、と思わされるのである。(注:記事の過度な脚色を指していると考えられる)

ゴキブリから自然の摂理を学ぶ

この家は古いので、ゴキブリがよく現れる。彼らは人間をあざ笑うように、なかなか逃げない。恐怖を受けないと逃げないのだろう。そこで追い払おうと水をかけるのだが、彼らは水圧に逆らって瀬戸物にへばりつくのだ。その足には吸盤みたいな仕組みがある。この原理はまだ良くわかっていないし、人間には作れないものだ。 自然の本能はすごい。ゴキブリの足のような些細なことにも原因があり、だから手段がある。それが自然の摂理なのである。ゴキブリにも神様は平等に手段を与えている。この世の中のどんなことでも勉強になるものがあるのだ。

定年後に始めた究極のレコードプレーヤ作り

私はレコードプレーヤを作った。レコードプレーヤは針先をレコードにあて、音を再生する。声楽は連続する波形から成り立つ。それを記録するには、波形を数値化しなければならない。そこで、私は針先をレコードにあてて音を取り出すカッティングについて知ろうとした。すると、カッティングのことを本当に理解している人がいないことを知った。これにはとても驚いた。 私は良いものではなく、正確に音を伝えるものを作ろうとしている。最終的に6台のレコードプレーヤを3億円もの投資で作った。この巨額のお金はオーディオテクニカが出してくれた。

レコードプレーヤを作り始めた頃、こんなにお金がかかるものだとは考えていなかった。お金に困りはじめてから、電車の中で偶然目にしたオーディオテクニカの中刷り広告が垢抜けていた。こんな広告を載せる会社なら、私がやろうとしていることを理解してくれると思った。私はすぐにオーディオテクニカに向かった。3日通ってすぐ返事がきた。協力してくれることになった。

音響機器メーカーを巻き込んで「究極」を追い求める

私が作ったプレーヤはカッティングの抵抗を減らしたり、様々な工夫をしている。音響を知らない私が作ったために、外見にはムダもあるが、本質は外していないものができたと思う。 社長直轄のプロジェクトとして始まり、私の下には5人の技術者がついた。社長は我々を、何も言わずにずっと見ていた。私は良い音を出そうとはしていない。演奏を正しく刻むことだ。このことは社長に理解してもらっていた。ただ、結果を急ぐのは至極当然のことで、社長もそうだった。だが、私がいなかったらこんなことをする人はいない、業界のためには必要だと説得した。社長は受け入れてくれた。とても素晴らしい人だ。

レコードプレーヤは回転盤の上のレコードに針を当てるが、摩擦抵抗を下げるためにその針先の温度を上げる。レコードが半分溶けた状態で刻む。この温度のさじ加減が難しい。当時、驚くことにこのカッティングの原理を知る人が誰もいなかった。私はこの世で初めて電子顕微鏡で針先の様子を撮影したのだ。 針先はレコードの上を動いている。抵抗が高いと、歪みとしてレコードに残る。針先の劣化はメッキが剥がれてたことではなく、カビが原因だった。こんなことが、誰にも知られていなかった。 古くなったのではなく掃除が必要なだけだったのに、音響メーカーや販売店の担当者の好みでメンテナンスされていたのだ。

音の本質は「物質波」

音は空気の振動だけではない。分子全体が震える物質波だ。 (炭素棒を差し込んだオルゴールと紙で実験。曲げた紙を炭素棒に当てると大音量の音色が聞こえる) 手で抑えると物質波を吸収してしまう。しかし、曲げた紙を当てるだけで音量はこんなにも大きくなる。音は変えることができない。しかし、業界はこのことを知らなかった。だから演奏の音は、業界の好みになる。音を理解していない業界が作り出す音響機器で音の芸術を語るのはおかしい。 私は戦争を経験しているので、正しいことが何かを伝える必要だと考えている。この紙の実験は何度もやってきた。紙には平滑度、凹凸といった物質的な特徴がある。この特徴が物質波を伝える役割を担う。業界はこんな基本の入り口で間違っていた。だが、商売にはなるのである。

「究極」のプレーヤに対する、音響機器メーカー技術者の反応

ちなみに私の作ったレコードプレーヤで、オーディオテクニカは投資を回収できていない。 針先が走る溝を研究した世界で初めてのレコードプレーヤでの実験。実機を技術者に聞かせたときの反応は「何だこれは?」だった。なぜなら、高音ははっきりと・低音はずっしりと、といった当時の常識からはずれた、全く特性のない音だったから。しかし、彼らは皆その直後に「これはただものではない」と思い始めたようだった。時は1980年代後半。皮肉にもレコードが終わる時代に、その仕組みがわかったのである。ただし、プレーヤの寿命は3分。私のしたことは売るための音と違う。だから、売るための音は、それをわかった上で売ることが大事なのである。デジタルで良いことは未来永劫ない。連続値ではないからだ。

原理を知ってこそ、妥協点を見つけられる

悪いことは、悪いことと承知してやることが大事なのだ。 物事の真の目的は、やってみて初めて解る。先のゴキブリの話もそうだ。 この世の中には不動の考えがある。それは人間にとって都合の良いものではない。

技術の究極は、アナログの連続性の延長にある。だが様々な経済的・技術的理由で、妥協せざるを得ない。妥協を決めるために、原理を解ることが必要なのである。 私の部屋には戦争の本がたくさんある。だが、私は戦争が好きではない。ただ、男が何をしようとしているのかを知りたいのだ。溜まったエネルギーを発散させ、落ち着かせているものなのかと考えている。最近も様々な出来事があるが、それらは滑稽に見える。

「究極の」スピーカ作り

私はプレーヤの研究をしたが、音を取り出すことができても、それを再現するスピーカがないことに気づいた。だから作ることにした。 一般的にスピーカは箱に入っているものが多いが、それは間違いである。箱の音になってしまうからだ。

(まもなく量産が始まる帆の形をしたスピーカを指差しながら) 木の板を湾曲させた理由は物質波を直進させるため。振動が伝達される際に、反射が繰り返すのである。モジュレーションが変わりにくい(注:発言どおりではない)。

音楽は元々は貴族のものだった。それが、大衆化されて聞く人が増えると音圧が必要になった。それに応じてバイオリンも弦を緊張させるようにした。楽器は人間の欲望とともに変わってきたのだ。

スピーカを箱に入れるのは間違いだ。現在は音響メーカの方針や、音響機器を楽しむようになっている。人は素直になるべきだ。 スピーカを作るためにはいくつかの変換器が必要だが、私のものは普通のものを使っている。一般的に横に置くのが普通のものを縦においている。それは分子レベルで振動させているので問題はない。物体が振動しているわけではなく、分子が振動しているのだ。紙は湾曲させると分子の配列がまとまり、一体となって振動する。まっすぐであったり、折ったりすると一体にはならない。

バイオリンの音色の違いも物質波で説明できる

この振動の原理は、楽器の素材を必然的に決めてきた。バイオリンには楓が使われる。歴史あるバイオリンが作られた頃、物流が発展していなかったために、素材の楓は時間をかけて運搬された。その間に虫が寄生し、その微粒子が入って内部が複雑になった。それが乾燥した素材に、丁寧に時間をかけて何度もニスを塗るのだ。バイオリン職人は、経験で楓の最適な伐採時期まで知っている。下塗りだけでも一ヶ月かける。だから高級なバイオリンは音が違うのだろう。この世界は歪の世界なのだ。

技術者は謙虚であるべき

これらのプレーヤやスピーカーには2億かかっている。だが生産はしない。それでも何らかの形で文化として残したいと考えている。

プロダクションエンジニアだった自分がこんなことをやるのは、能率に偏り過ぎた罰じゃないかと考えている。人が感動するかどうかを決めるのは能率ではないのだ。ただし、本来能率とは無駄をとることである。音楽とは非なるものだが、理論が間違っていなければそれは音楽的だと感じている。

過去に、上野の美術館で長刀の展示を見る機会があった。どれくらいまっすぐか測ってやろう、と思った。だが、実物を前にするとそんな不遜な疑いは吹き飛んでしまった。あまりにも真っ直ぐなのだ。どうしたら作れるのか、私は考えた。反らない刀のために、あえて反りを与えるのかもしれない。その技法と時間の投資が見る者に伝わると、不遜な疑いは吹き飛ぶ。人間にはそういうものが必要なのだろう。

単純こそ明快で、付け足しがあるとダメになる

人間は、わかったつもりになる。それが危険だ。実際にはわかっていない。 実態をわかっていない。わかることが大事。やってみると、わからないことが多いことに気づかされるのだ。

私はピアノの足の研究をしたことがある。ピアノを移動したら音が変わることに気づいた。ピアノは足を通して床に物質波が入るのだろう。その床の状態によって音が変わるのだ。同様に、バイオリンを演奏するときにもその物質波は演奏者の骨を通り、床に伝わる。それが聞こえる音を変化させる。

芸術は人間が主体となるものだ。微妙なところがある。例えば、ピアノを「良い音」にするためには弾き込むしかない。物質波は単純な調律ではよくならないのだ。

音響について関わってから、人にはいかに先入観があるかに気づかされた。単純であることは真理に近づくことである。単純こそ明快で、付け足しがあるとダメになる。音楽は人を感動させるものである。

経験の積み重ねに向き合う

素材の選択は経験的なものだ。年月の長いものがよいことは理屈では説明できないのかもしれない。 しかし、そこには厳然たる歴史がある。そのプロセスが大事なのだ。最近は結果だけを求めるから、メーカーは実態をわかっていない。それは良くない。 古いことの積み重ねがあることが大事。長刀がよいものかどうかはわからないが、それが醸し出す雰囲気は人々を圧倒する。積み重ねはとても大事なことだ。

最近は何につけ理屈を用いて、説明しようとする。納得させようとする風潮がある。しかし、それでもわからないことはある。 我が家のゴキブリには殺意を感じる。本能だろう。だが、その虫一匹でもとても勉強になる。

「寿司も感性。音も感性。」寿司ロボットで音響機器メーカーへの恩返し

私は寿司ロボットを作ったこともある。くだらないものだが、実際は相当苦労している。最初はおむすびを作ろうとした。おむすびは満腹になればよいものだが、寿司は食べたくなくても食べたくなるファクターが大事だ。7000万個を握った羽田の寿司職人に聞いて、心地よいシャリの定量化をした。箸で挟んで7秒で折れる。それが口の中で崩れるご飯の感覚と同じだった。 私は寿司ロボットをオーディオテクニカに提案した。だが誰も賛成した人はいなかった。そこにレコードプレーヤに協力してくれた社長は言った。 「寿司も感性。音も感性。」 社長がプロジェクトを押し通した。結果は大成功だった。オーディオテクニカはこの寿司ロボットでレコードプレーヤの投資以上の利益を得ただろう。

技術は人のためであれ

私のやることに一貫性はない。だが、人のためである点では一貫している。人に向いていなければ、存在理由はない。それが感性につながることは間違いない。

あとがき

寺垣さんは終始熱弁をふるい、12名の我々一人一人に語りかけていました。3時間のあいだ、水を一滴を飲まないほどでした。我々は皆、その熱い話に引き込まれていました。 「90歳になって、足が悪くなってしまった」とは言うものの、まだまだ現役でいらっしゃいます。

教訓

  • 自然の摂理、原理を理解しようとする
  • 歴史や経験を大事にする
  • 物事に対して謙虚に向き合う
  • 人にとって都合の良いことではなく、正確であることにこだわる
  • 人のための技術を追い求める

これらは当たり前のことであっても、実践することはとても難しいことです。 寺垣さんが追い求めてきた崇高な理念を、どうやったら受け継いでいけるのか、真剣に考える機会になりました。